フランスにおけるナポレオンの歴史とは

ナポレオンと聞くと、白馬に乗った肖像画やロゼッタストーン、妻のジョゼフィーヌや最終的には流罪となったこと、などと思い浮かべる人もいるかもしれませんね。

しかし、ナポレオンはフランスの歴史に大きな影響与えた人物でもあります。

ここではフランスにおけるナポレオンの歴史について紹介します。

第一次対仏大同盟

フランス革命が起こり、フランスの王室が廃止され、1789年には人権宣言が発布されました。

このときのフランスの勢いはとても強く、ルイ16世とマリーアントワネットが処刑された後はヨーロッパ諸国がこのフランス軍の勢いを恐れ、第一次対仏大同盟を出したのです。

この頃、ナポレオンは港湾都市を制圧するための作戦に参加し、フランス軍を率いる者として大いに活躍していました。

1793年から1808年のスペイン反乱で敗北するまで、ナポレオンが率いるフランス軍はほとんど勝ち続けていったのです。

ナポレオンの輝かしい歴史

1795年、暴動が起こったパリを鎮圧したことにより、ナポレオンは将軍になりました。

オーストリアを打ち破って対仏同盟を崩壊させ、ナポレオンはイタリア北部に広大な領土を獲得したのです。

これによってナポレオンはフランスの歴史における英雄となりました。

その一方で広大な海軍を持っているイギリスに勝つことができず、ナポレオンは植民地のインドとの関係を断つためにエジプトに軍を進め、あっさりと勝利を収めました。

しかしエジプト沖でイギリス海軍にやられてしまい、フランス軍は帰るに帰れなくなってしまったのです。

この間、イギリスの呼びかけに起きて第二次対仏大同盟が結成されており、フランスの新政府は窮地に立たされました。

第一統領としての歴史

ナポレオンは兵士をエジプトに残したままフランスに帰国し、士気をあげました。

1799年11月のクーデターでは一気に権力を握り、実質的な独裁者となったのです。

それによって第二次対仏大同盟を打ち破り、わずかな期間に経済や産業、教育などを整えました。

そしてナポレオン中心とした国家が出来上がったのです。

1804年、ナポレオンは皇帝になりました。

イギリスは第三次対仏同盟を結成していましたが、この頃から対仏大同盟の目的はフランス王政復古ではなく、ナポレオン打倒と変わっていったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ナポレオンはフランスに勝利を収め、他の国からフランスを守った兵士でした。

もちろんその功績は長続きはせず、最終的にナポレオンは刺客していくこととなります。

こうしてナポレオンの輝かしい歴史は終わるのです。