ナポレオンと言えば様々な戦いで勝利を収めた人物ですが、そんなナポレオンに関する有名な戦いとは一体なんなのでしょうか。
ナポレオン戦争はフランス革命戦争に続いて起こった戦争です。
一般的にはアミアンの和訳が破られたことによってナポレオン戦争が始まったと考えられています。
ここでは、ナポレオンに関する有名な戦いについて紹介します。
アウステルリッツの戦い
ナポレオンと言えば、真っ先にこのアウステルリッツの戦いを思い起こす人もいるのではないでしょうか。
これこそナポレオンの有名な戦いの1つです。
フランス皇帝であったナポレオン、そしてオーストリア皇帝のフランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世の3人の皇帝が参加したことから、アウステルリッツの三帝会戦と呼ばれることもあります。
ただし、実際はオーストリア皇帝のフランツ1世は戦いの場所から離れたところにいました。
この戦いによって第3回対仏大同盟は崩壊し、神聖ローマ帝国が消滅しました。
そしてライン同盟が成立したのです。
トラファルガーの海戦
ナポレオンと言えばトラファルガーの海戦を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。
トラファルガーの海戦はナポレオン戦争における最大の海鮮です。
ナポレオンが負けた戦いでもありますが、同時にイギリス側の戦闘で先だったネルソンという人物が名前を馳せた戦いでもありますね。
ネルソンは自分の部下に対し、「英国は客員がその義務を尽くすことを期待する」と伝えたとされており、今でもこの言葉は名言として残されています。
陸の上での戦いにおいてはアウステルリッツの戦いでフランスが以前優勢でした。
しかし海の上ではフランスはイギリスに勝つことができなかったのです。
ワーテルローの戦い
ワーテルローの戦いというのはイギリスやオランダを始めとする連合軍、そしてプロイセン軍とフランス軍とのあいだで行われた戦いです。
英語読みではウォータールーの戦いと呼ばれることもあります。
エルバ島に追放されていたにもかかわらず、その島を抜け出して皇帝の座に返り咲いたナポレオンはこの戦いに挑みました。
連合軍はフランス軍を攻撃してルイ18世を王座につけ、フランスを大敗させたものです。
その結果ナポレオンはイギリスに降伏し、セントヘレナ島に流されました。
一時は皇帝として華やかな立場にいたナポレオンですが、最終的にこのセントヘレナ島で死亡しました。
死因ははっきりとはしていませんが、解剖した結果ナポレオンの胃には腫瘍と癌があったと言われています。
また、暗殺説も完全には否定されていません。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンには有名な戦いがたくさんありますが、勝ち負けはともかくこの3つが特にナポレオンとして有名な戦いなのではないでしょうか。
ナポレオンはヨーロッパのほぼ全域を支配したと言えるのです。