ナポレオンの絵は様々なものがありますが、ベルナール峠からアルプスを越えてボナパルト、という絵を見たことがあるでしょうか。
フランスの画家が1801年から描いた絵であり、ナポレオンのアルプス越えと呼ばれることもあります。
ここではナポレオンは白馬に乗っていますが、実際はロバに乗っていたのではないかと聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
ナポレオンは本当にロバに乗っていたのでしょうか。
ここではナポレオンが載っていた動物について解説します。
目次
ナポレオンはモデルになりたがらなかった!?
誰かの会を書くときはその人をモデルにして描きますよね。
多くの画家はモデルになる人を目の前に立たせ、下書きをしていたものです。
しかし、ナポレオンはモデルになりたがりませんでした。
というよりもナポレオンは長時間じっとしていられなかったとも言えます。
画家がナポレオンに頼み込み、3時間ほどモデルになってほしいとお願いしたことがありましたが、その時もナポレオンはじっとしていませんでした。
そのため、画家たちはイメージでナポレオンの絵を書かなければならず、ナポレオンによく似ていた人物をモデルにしようとしたこともあったことです。
ですから全体的に絵画はイメージで書かれており、実物よりもよく描かれている可能性は極めて高いと考えられます。
例えばナポレオンの戴冠式の絵画も、ナポレオンは実物よりも長身でハンサムに描かれていると言われていますし、妻ジョセフィーヌも若く美人に描かれているのです。
マレンゴ
ナポレオンは142センチの純血アラブ馬を大切にしていました。
この馬は1793年に生まれ、6歳のときにエジプトからフランスに連れてこられたことによりナポレオンの持ち馬となったのです。
マレンゴの戦いに由来し、マレンゴと名付けられました。
並外れて足が速く、戦場の喧騒の中にも動じることがありませんでした。
これはあくまでも噂ですが、朝には80キロ、食後に128キロを走っていたと言われています。
戦いの最中では傷を負うこともありましたが、それに動じることなく、アウステルリッツの戦いからワーテルローの戦いまでナポレオンを乗せていたと言われています。
結局ナポレオンは馬に乗っていた
このマレンゴはナポレオンがワーテルローの戦いで敗れたことにより、戦利品としてイギリスに連れて行かれました。
その後種馬とされ、38歳で命を落としました。
今ではこの骨格がイギリスにある国立陸軍博物館に残されています。
この話から考えると、ナポレオンが乗っていたのはロバではなく馬だったということがわかります。
しかしその一方でナポレオンの馬はわずか148センチですから、かなり小さいことがわかりますよね。
このように馬としては小さいサイズであったことからナポレオンは上に載っていたのではないかという逸話が生まれてしまったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
結論からいうとナポレオンが愛していたのはロバではなく馬でした。
さらに絵画に描かれているのも本当に馬が描かれたといえます。
ただし、ナポレオンが小さかったということ、そしてマレンゴが小さかったという事からナポレオンはロバに乗っていたのではないかと言われるようになったのです。