ナポレオンの息子はどのような人物だったのか

ナポレオンには実は3人の息子がいます。ただしそれぞれ母親が違い、中には愛人の子供や養子もいるため、その子供たちは嫡男ではありません。

妻であったジョゼフィーヌとの間には子供ができず、ジョゼフィーヌと離縁したという話も有名ですよね。

そのため、ナポレオンとジョゼフィーヌの間の子供は存在せず、だからこそ嫡男も1人しかいないのです。

それならば、ナポレオン自身の息子とはどのような人物だったのでしょうか。

ここではナポレオンの息子たちについて紹介します。

ナポレオン2世

ナポレオン2世の本名はナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルトです。

ナポレオンの嫡男ですが、長男というわけではありません。

オーストリア宮廷でライヒシュタット公爵フランツとして知られていたと言われています。

ナポレオンとハプスブルク家のマリー・ルイーズの間に生まれますが、生まれてすぐにローマとなり、母親と一緒にオーストリアに帰国しました。

ナポレオンのことをとても尊敬しており、父親がセントヘレナ島で死去したという話を聞いたときには号泣したと言われています。

21歳という若さで死亡し、彼の死亡によりナポレオンの直系は途絶えました。

ウジェーヌ・ド・ボアルネ

ウジェーヌ・ド・ボアルネはナポレオン一世の最初の皇后、ジョセフィーヌの息子であり、ジョセフィーヌがナポレオンと結婚したことによってナポレオンの養子となりました。

ナポレオンとジョゼフィーヌが離婚したときには任務を放棄したいと願っていましたが、ナポレオンとジョゼフィーヌ双方から懇願され、任務を放棄する事はなかったと言われています。

最終的に42歳で脳卒中のために死亡しました。

荘厳な葬儀が行われたと言われています。

レオン伯シャルル

レオン伯シャルルはナポレオンと愛人エレオノール・ドニュエルの間に生まれました。

1815年に伯爵となり、1840年にはナポレオン3世と決闘をしています。

レオン伯シャルルはナポレオンによく似た孫がいましたが、その孫は第一次世界大戦で戦死し、他の姉妹たちも第一次世界大戦で死亡したとされています。

本人は正妻の息子では無い為ナポレオンの庶子という形になり、嫡男にはなりません。

まとめ

いかがでしょうか。

ナポレオンには3人の息子がいましたが、血がつながった息子はあくまでも2人だけであり、その2人も1人は愛人の子供であったため直系の息子は1人しかいなかったのです。

それでも両親の離婚など悲しい背景のもとで育ち、それぞれ怒涛の生涯を送ったと言えるでしょう。

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