ナポレオンが皇帝に即位したことにより、フランス第一帝政が始まりました。
この第一帝政は1804年に始まり、1814年に終わります。
これはナポレオンがその軍事力を後ろ盾とした軍事独裁政権とも言えるでしょう。
それならば、ナポレオンが率いた第一帝政とは一体どのようなものだったのでしょうか。
ここではフランス第一帝政について解説します。
フランス帝国の成立
もともと終身第一統領だったナポレオンは1804年5月18日元老院決議によって皇帝になりました。
これによってフランス第一帝政が始まったのです。
しかしこれは決してナポレオンが勝手になったものではありません。
1803年11月に国民投票が行われ、過半数が賛成したことにより、ナポレオンがフランス共和国の皇帝になったのです。
そして12月にはナポレオンの戴冠式が行われました。
ナポレオンが統領の時とは異なり、今度はナポレオンの軍隊を後ろ盾とした軍事国家へと変化していったのです。
ナポレオンへの抵抗
ナポレオンが皇帝になり、さらにフランスは力を増していきました。
オーストリア、ロシア、プロイセンを屈し、さらにその勢力を伸ばしていたのです。
しかしその一方でイギリスがまだまだナポレオンを打倒しようと力を強めていました。
ナポレオンはそれに対抗するため、イギリスの経済的孤立を目指して大陸封鎖令を出しましたが、産業革命によって経済的中心地となりつつあったイギリスを切り離してしまったことにより、イギリスだけが経済的に孤立してしまっただけではなく、イギリスを交易相手としていた国々も経済的に参ってしまう状態となったのです。
つまりフランスの試みは失敗に終わったと言えるでしょう。
ジョセフィーヌとの別れ
ナポレオンが皇帝となり、フランス帝国は順調のように見えました。
しかしナポレオン憲法によってナポレオンが後継者を指名する権利を得てしまい、同時に妻であるジョゼフィーヌに子供ができなかったことから2人は梨園することになったのです。
もともとジョセフィーヌには連れ子がいましたが、ナポレオンの嫡出子ではないということで後継者にはなりえなかったのです。
この後、ナポレオンはマリー・ルイーズと結婚することになりました。
そこに息子が生まれ、この息子がナポレオン2世となったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンを皇帝とした第一帝政は1814年に幕を閉じますが、フランスはさらに力をつけていく時期となりました。
しかしそんなフランスも徐々に力を失い、ナポレオンはフォンテーヌブロー条約によって皇帝の地位を追われていくのです。