ナポレオンというとヨーロッパの大半を支配する戦争に立て続けに勝利し、皇帝にまで上り詰めた人物ですよね。
もともとは貧乏貴族でしたから、その人生は下克上といっても過言ではありません。
しかしナポレオンが成し遂げたのは戦争への勝利と政治だけでは無いのです。
実はナポレオンは教育にも大きく貢献しました。
ここではフランスにおける学校教育について解説します。
1791年フランス憲法
フランス革命が始まった1791年にフランス憲法が制定されました。
そしてそこにはすべての市民を対象とした共通の無償教育制度というものが掲げられていたのです。
すべての市民に教育を受ける権利がある、身分による差をつけることなく、すべての市民が同じ教育を受ける権利を持つ、ということが明確にされていました。
つまり、ナポレオンが進出する直前にフランスでは義務教育というものが出来上がっていたということになります。
もともとヨーロッパは今のような国境がなく、国境線というものも今とは違いました。
兵隊たちは雇われて戦いに行く洋平でしたし、国民という自覚はなかったのです。
しかしフランス革命で立ち上がった人々には自分たちはフランス市民であるという自覚があり、それによって教育にも関心が高まっていったのです。
ナポレオンは読書家だった
さらにナポレオンは非常に読者が好む人物でした。
若い頃から様々な本を読み、例えばセントヘレナ島に流された後は3000冊もの本も読んでいたと言われています。
そんなナポレオンは学校でも優秀な成績を収めており、本来ならば4年で終了する課程をわずか11ヵ月で終えてしまったのです。
これは学校にとっても最短記録であったと言われています。
小学校の教育が重視された
ナポレオンが進出する直前のフランス革命においては、フランスでどのような教育を施すかどうかという話し合いがなされていました。
最終的に小学校で子供たちに基本的な道徳や能力をつけさせるための役割が重要であるという結論に至ったのです。
批判精神を成長させ、産業を促すための科学や技術教育というものが強化され、祖国愛に基づいた国民としての教育を尊重するようになりました。
啓蒙思想が広がっていく時期だったということもあったため、国家の繁栄のために教育が必要であるという考え方が尊重されるようになったのです。
ナポレオンが出てくる直前の話ですね。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンは頭が良かったと言われていますが、だからこそ教育にも力を入れ、戦術にたけていたといえます。
フランスにおける公教育というものはナポレオンが台頭する直前から出始めていたのです。