ナポレオンは貧乏貴族として生まれましたが、ナポレオンを育てた母は教育にとても熱心だったと言われています。
「子供の将来はその母の努力によって定まる」という名言まで残したナポレオンの母親は、どのような人物だったのでしょうか。
ここではナポレオンの母が行った教育について紹介します。
目次
肝っ玉母ちゃん
ナポレオンの母は今でいう肝っ玉母ちゃんのような人物だったと言えるでしょう。
母マリア・レティツィアはナポレオンを含め12人の子供を設けました。
しかし5人が病気でなくなり、最終的に残ったのは5人の男の子と3人の女の子だったのです。
そのうちの次男がナポレオン・ボナパルトでした。
母はとてもしっかりした女性であり、子供達の事のみならず、ナポレオンの父や戦いに対して臆病な姿勢を見せていた兵士たちを怒鳴りつけるほどの人物だったと言われています。
ナポレオンが皇帝になったときは、その母が散々小言を言ってきました。
それが嫌になったナポレオンは「余はフランス皇帝なるぞ!」と怒鳴ったと言われています。
すると母は「私はその皇帝の母なるぞ!」と怒鳴ったそうです。
女手一つで子供たちを育てた
実はナポレオンの父親は早くにこのよう去っています。
そのためナポレオンの母は再婚することなく、コルシカ島で8人の子供たちを1人で育てたものです。
最終的にナポレオンが皇帝になったため、この家族の家系は非常に潤うことがありました。
しかしナポレオンの母はだからといって必要以上のお金を使う事はなく、最後まで慎ましい生活をしたとされています。
自分の子供が偉くなったとしても、自分の立場が変わったとしても、自分の身の程をわきまえていたとされているのです。
ナポレオンの母の名言
ナポレオンの母が残した名言に、「どんなことがあっても名誉と約束だけは重んじるのだよ」というものがありました。
だからこそ、ナポレオンは周りの人物が人の目を盗んだり約束を破ったりしたときには、厳しく対処したとされています。実際にナポレオンは自分の母について、「私の名下すべては1人の女性のおかげだ」という名言さえも残しているのです。
ナポレオンにこれほどまで尊敬された母はきちんと誇りを持って子供たちを教育し、その誇りが逆境にも負けない強さを育てたと言えるのです。
だからこそナポレオンは皇帝にまでなれたのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンの業績は決してナポレオンだけのものではなく、母親が大きく関わっていたのです。
父親が早くにいなくなってしまった分、1人で8人の子供を育てたなんて凄いですよね。
この母親がいなければ、あのナポレオンはいなかったと言えるのです。