ナポレオンと元帥マルモンの関係について

ナポレオンと言えば、フランス革命戦争に続いて起こったナポレオン戦争で次々と勝利を収めた人物ですよね。

最終的には敗北し、セントヘレナ島に送られてしまいますが、ナポレオンは戦術に長け、非常に頭が良い人物だったと考えられています。

そんなナポレオンには様々な部下がいましたが、その中の元帥マルモンはナポレオンの腹心の部下だったと言われています。

ここではそんなナポレオンとマルモンの関係について解説します。

裕福な貴族のもとに生まれる

マルモンはもともと非常に裕福で教育熱心な家族のもとに生まれました。

士官学校を卒業し、18歳で少尉となった優秀な人物です。

19歳でナポレオンの副官となり、それ以降はナポレオンにしたがって戦争に行きました。

1798年、24歳でエジプト遠征の際の将軍になるなど、キャリアも十分に重ねていたと考えられます。

ブリュメールのクーデタにもしっかりと参加し、各舞台への連絡係りとなりました。

そしてナポレオンが皇帝となった後は帝国元帥に任命されたのです。

しかし、マルモンのキャリアを考えるとこの元帥への昇進は極めて遅いものだと考えられています。

敗北を経験

1811年、ポルトガル遠征では総司令官になりました。

ただし、翌年には敗北し、逃げ出すこととなります。

さらにその次の日にはライプチヒの戦いで多くの部下たちを亡くし、それ以降の戦いにおいても勝利を収めることができませんでした。

そしてさらに18104年、パリを守るようにと命令されていたマルモンはこれ以上戦っても無駄だと考え、降伏してしまったのです。

その後は敵軍に加わり、ナポレオンを退位に追いやりました。

これがきっかけとなり、ナポレオンはエルバ島に流されます。

当然ながら、これによりナポレオンとマルモンの関係は悪化してしまいました。

ナポレオンとの距離

元帥マルモンが寝返ったことにより、ナポレオンは敗北してしまったとも言えます。

しかもそれによって肯定の立場を失ったため、ナポレオンは最初マルモンを許すことができませんでした。

ナポレオンが百日天下を終えた後はフランス国王ルイ18世とともにベルギーに逃げ出し、その後は近衛師団参謀長に任命されたのです。

最終的にナポレオンは流されてしまったセントヘレナ島で死亡しましたが、2人の関係は決して良くなる事はありませんでした。

ただし、ナポレオンは遺書の中でマルモンを許すとしているため、公式には関係が良くなったと言えるのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ナポレオンは腹心の部下であったマルモンを失い、窮地に追い込まれます。

しかし、当の本人に会う事はなかった一方で、一緒でマルモンを許すとしたナポレオンはそれなりに心が広がった人物だと言えるでしょう。

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