ナポレオンと言えばフランス革命戦争の後でナポレオン戦争を引き、フランスを勝利に導いてヨーロッパの大部分を支配した軍人であり、皇帝でもあります。
それに対してジャンヌダルクは生きていた時代こそ違いますが、同じくイギリスとフランスの歴史に関わり、フランスを勝利に導いたオルレアンの乙女と呼ばれる人物です。
このナポレオンとジャンヌダルクの共通点には一切どのようなものがあるのでしょうか。
ここではナポレオンとジャンヌダルクの共通点について解説します。
ジャンヌダルクとイギリスとの戦い
ナポレオンもジャンヌダルクも、フランスとイギリスの戦争で苦戦を強いられたという共通点があります。
もともとジャンヌダルクはフランスとイギリスの戦いに出向き、男装をしてフランスを勝利に導きた人物です。
軍人経験のない彼女の言い分を聞こうとしない兵士もたくさんいましたが、彼女が引き起こしていく奇跡にジャンヌダルクが神の娘だということを信じ、彼女を尊敬するようになった兵士もたくさんいたと言われています。
ジャンヌダルクはオルレアンを解放してランスを取り戻し、シャルル7世を国王として戴冠させたのです。
ナポレオンとイギリスの戦い
ナポレオンもジャンヌダルクと同様、イギリスとの戦いを率いた人物です。
ナポレオン戦争においてイギリスは特に強く、海上封鎖を行うほど、海軍に関してはフランスはイギリスになかなか勝利できなかったのです。
そこでイギリスとインドの関係を断ち切るためにエジプト遠征を行いますが、そこでもフランス軍はイギリス軍に対し苦戦を強いられました。
しかしそこでロゼッタストーンを見つけるなどし、ナポレオンの功績も称えられています。
イギリスによって非業の死を遂げた
そしてジャンヌダルクもナポレオンもイギリスによって非常に残念な命の落とし方をしたといえます。
例えばジャンヌダルクはイギリス軍の捕虜となり、異端裁判にかけられました。
文盲だったジャンヌダルクは騙される形で署名させられ、最終的に魔女裁判で有罪となり、火あぶりの刑に処せられたのです。
ナポレオンはワーテルローの戦いに敗れ、セントヘレナ島に送られました。
イギリスは亡命先としてのナポレオンの受け入れを拒否したため、イギリス領のセントヘレナ島に送られたのです。
そこで不平等な扱いを受け、病気になってもきちんと見てもらえることもなく、そこで命を落としました。
まとめ
いかがでしょうか。
ジャンヌダルクとナポレオンは生きていた時代は全然違いますが、双方の人生には少なからず共通点があることがわかります。
しかしどちらもフランスを守り、勝利に導いた人物としてフランスで尊敬されているのです。