フランスにおけるナポレオンの子孫とは

ナポレオンの子孫にはどのような人がいるのでしょうか。

ナポレオン・ボナパルト、つまり一般的なナポレオン1世には子供が3人いました。

ここでは、このナポレオンの子供たちについて解説します。

ナポレオン2世

ナポレオン2世はナポレオンボナパルトの長男というわけではありませんが、嫡男です。

ちなみにナポレオン3世はナポレオン1世の甥にあたるため、子供ではありません。

ハプスブルグ・ロートリンゲンのマリアルイーズ皇后とナポレオンの間に生まれ、生まれて3ヶ月後、ローマ王になりました。

ナポレオンが退位すると母とともにオーストリアに帰国しましたが、ナポレオンの味方による誘拐を恐れ、ほとんど監禁状態であったとされています。

父親に憧れるようになったと同時に結核にかかり、父親に認められるための過酷な軍事訓練が病気を悪化させたと言われています。

1832年7月22日、21歳という若さで死亡し、これによってナポレオンの直系は途絶えました。

レオン伯シャルル

ナポレオンと愛人の間に1806年に生まれたレオン伯シャルルはナポレオン1世庶子にあたります、1815年には伯爵となり、1832年にはイギリス人大尉を射殺し、その8年後、1840年には後のナポレオン3世と決闘をしています。

ナポレオン1世の死後、シャルルの一人娘シャルロットがインタビューを受け、シャルロットにはナポレオンによく似た一人息子がいたと述べています。

しかしこの一人息子は第一次世界大戦で戦死し、他の異母兄弟たちも第一次世界大戦で命を落としています。

アレクサンドル・バレフスキ

ナポレオンと愛人の間に生まれアレクサンドル・バレフスキはレオン伯シャルルとは別の母親を持ちますが、ナポレオンの子供であり、庶子になります。

ナポレオンがポーランドに行っている間に生まれた子供ですが、愛人の夫がアレクサンドル・バレフスキを自分の子供として認めました。

しかし後にこの2人は離婚し、アレクサンドル・バレフスキが8歳の時に母親が死亡し、そしてその4年後には父親であるナポレオンもしもしました。

若い時はポーランドで生活していましたが、独立運動に加わり、フランスに亡命します。

後のナポレオン3世に近づき、国務大臣や立法院自重などといった仕事を任されました。

父親であるナポレオンとよく似ていたということから、外国からはナポレオン3世と間違われることもよくあったと言われています。

まとめ

いかがでしょうか。

ナポレオンの妻というとジョセフィーヌを思い浮かべる人も多いかもしれません。

しかしジョゼフィーヌとの間には子供がおらず、ナポレオンの嫡男はたった1人だけだったのです。

つまり、今現在ナポレオンの直系にあたる子孫はいないということになります。