実はフランス銀行というのはナポレオンが創立したということを知っているでしょうか。
1800年2月13日、フランス銀行はナポレオンの指示のもと設立されました。
ここではそんなフランス銀行について紹介します。
フランス銀行の建物
ヴィクトワール広場の南側にフランスの中央銀行が建てられています。
銀行はもともと日本と同様にフランスのフランという貨幣を発行していました。
フランス銀行はその中央銀行であり、もともとその建物は1635年、ルイ14世の子供のために作られたものだったのです。
しかし1716年、経済学者のジョン・ローがこの建物を買い取りました。
しかし今度はフランス政府が彼の貨幣理論に着目し、1718年にこの銀行を買い取ったのです。
そしてこの銀行はフランス王立銀行となりました。
そして1800年、ナポレオンがこのフランス王立銀行をフランス銀行とし、3年後の1803年に発券銀行としたのです。
フランスの経済
この頃のフランスはお金がないという状態でした。
そもそもフランス革命によってお金を使い切ってしまった国家は経済が悪化してしまい、民衆は飢えに苦しんでいたのです。
絶えず汚職がはびこり、成り上がり者が快楽に走るという状態が続いていました。
フランス革命が起こり、王政が廃止されたにも関わらず、人々は強力なリーダーを求めるようになったのです。
そんな時に現れたのがナポレオンでした。
ナポレオンは街中の争いを沈め、将軍となり、名声や地位を手に入れるようになったのです。
そんな国家の社会的情勢を考えれば人々がナポレオンを支持するようになったのは無理もないかもしれません。
200家族
フランス銀行が創立されて以降、株主総会に出席できるのは出資額のトップ200人だけでした。
それがいわゆる200家族というものです。
フランス銀行には40,000人の株主がいましたが、大株主は200家族と呼ばれる人々でした。
さらにそのうちの84人は100株以上持っており、その中には有名な政治家もいると言われています。
200家族は毎年株主総会で理事を15人選びました。
1873年から1896年の大不況を通じて徐々にフランス銀行は事業を拡大して行ったのです。
第二次世界大戦はフランス銀行が費用を負担しており、それによってフランス銀行は国有化されました。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンというとどうしても軍人としての活躍しか表沙汰になりませんが、実はナポレオンはフランス革命によって疲弊してしまった国を沈めた張本人でもあるのです。
最終的にはセントヘレナ島で非業の死を遂げますが、ナポレオンの業績は高く評価されてしかるべきのものだったと言えるでしょう。