ナポレオンと聞くと、白馬に乗った肖像画を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。
しかし、ナポレオンが成し遂げた歴史的意義というのは一体なんなのでしょうか。
というのは、ナポレオンはロシアの冬将軍に負けたという説が有名であり、あるいはナポレオンコンプレックスなど、どうしてもマイナスのイメージで知られていることもありますよね。
ここではナポレオンが持っている歴史的意義について解説します。
国民国家という概念を広めた
フランス革命が起こったときのヨーロッパには国民国家という概念はありませんでした。
フランス革命というと、武器を持たない平民たちがフランス人として立ち上がったという印象を持った人が多いですが、実はそんな事はありません。
国家が財政危機に陥り、このとき初めて人々はフランス国民としての自覚を持ったのです。
つまり、フランス革命というものは初めて人々が自分の国というものを意識して起こったものでした。
そしてここからナポレオン戦争に広がっていき、自分の国家としての概念を広げていったのです。そして国民を主権とする国家が意識されるようになりました。
これはナショナリズムの概念にもつながり、ナポレオンの歴史的意義の1つと言えます。
ローマ帝国を解体した
1648年のウェストファリア条約によってローマ帝国はもともと国家としての機能を失っていました。
しかし、フランス革命が起こって無敵な状態のフランスに脅威を覚えたヨーロッパ諸国が対仏大同盟を作り上げ、それをフランスはどんどん打破していたのです。
そこに現れたナポレオンが戦いで勝利を収め、最終的にローマ帝国は解体することとなりました。
解体したローマ帝国はオーストリアやプロイセンなどに分かれていたのです。
これが国民国家形成につながったという見方も可能です。
それまで力を保っていたローマ帝国を解体に結びつけたということも大きな歴史的意義と言えるでしょう。
事前準備の大切さ
さらにナポレオンは冬将軍に負けたという事でも知られていますよね。
ロシアに遠征に行く際、ナポレオン軍は物資の調達を現地で行おうと考えていました。
しかし現地の冬はとても厳しく、物資を調達することができなかったのみならず、飢えのために飢餓や脱走によって兵力は分散されていったのです。
食べ物がないため馬を維持することもできず、馬たちは飢えた兵士たちによって殺されました。
そのため大砲などを運ぶことができず、フランス軍は多くの武器をロシアに残してその地を離れていくほかなかったのです。
この一連の流れから、今では事前準備の大切さが説かれることもあります。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンというと具体的に何をしたのかどうかよくわからない、と感じる人もいるかもしれませんね。
ナポレオンは皇帝になっただけではありません。
国民国家、つまりナショナリズムの概念を形成したという大きな歴史的意義を持っているのです。