フランスのナポレオンと言えば知らない人はいないのではないでしょうか。
フランス革命の後に続いて起こったナポレオン戦争で勝利を収め、ヨーロッパのほとんどを支配した人物です。
しかしその一方でロシアの冬将軍に負けたことなども有名ですよね。
それならばナポレオンは一体どんな人物だったのでしょうか。
ここではナポレオンの人物像について紹介します。
貧乏貴族として生まれる
ナポレオンは皇帝にまで上り詰めた人物ですから、もしかしたらもともと裕福な家族のもとに生まれたのではないかと思う人もいるかもしれませんね。
しかし、実はナポレオンは貧乏貴族として生まれたのです。
ナポレオンはコルシカ島に生まれました。
もともとコルシカ島はフランスと違い、貴族という身分制度がなかったのです。
その一方でナポレオンの父親がフランスに寝返るということで貴族同等の権利をもらいました。
その見返りとして受け取った補助金により、ナポレオンはフランス本国にわたって教育を受けることができたのです。
そのため、ナポレオンはもともと貧乏な家庭に生まれた人物であり、もともと裕福な貴族だったというわけでは無いのです。
勉強が得意だった
ナポレオンという人物は若い頃から戦略を考えることが上手だったと言われています。
もともとパリ陸軍士官学校に通っていたときには本来は4年かけて卒業するものを11ヵ月で全ての課程を終わらせてしまいました。
また、ナポレオンは仲間たちと雪合戦をした時、上手に指揮をしてチームをまとめ、並外れた戦略を用いて処理したと言われています。
そのため、ナポレオンが戦術を考える能力は頃から発揮されていたのではないかと考えられているのです。
さらに読書をこよなく愛しており、戦術に関する知識をつけていきました。
国内外ともに好かれていた
そんなナポレオンは国内外ともに人気がありました。
戦争と言えば長期戦になりますから、当たり前ですが食べ物を現地で調達しなければいけませんよね。
しかしナポレオンたちはこの心配をする必要はなかったと言われています。
というのは、ナポレオンはフランス国内でもフランス国外でも極めて人気が高く、だからこそ食料などは困らなかったのです。
同時に、ナポレオンの時代に瓶詰めというものが出来上がりました。
もともと時間がかかるということであまり普及はしなかったのですが、密閉してから殺菌するという方法はこの後も缶詰として発展していくことになります。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンはその最後こそセントヘレナ島で命を落とすという残念な亡くなり方をしましたが、その人物は非常に頭が良く、人気者だったと言えるのです。
確かにナポレオンは国民投票で皇帝になりましたから、非常に好感度を持てる人物だったと言っても過言では無いのかもしれません。