ナポレオンと言えば華々しい人生を送った人物のように思う人もいるかもしれません。
確かにフランス革命戦争の後に続くナポレオン戦争ではフランス軍を勝利に導き、他のヨーロッパ諸国を怯えさせましたよね。
皇帝となり、政治の権限まで掌握しました。しかしそのナポレオンは実は2回も島流しに合っています。
その理由は一体なんなのでしょうか。
ここではナポレオンが島流しとなった理由について解説します。
エルバ島への島流し
1814年、フランスと第6回対仏大同盟の間でフォンテーヌブロー条約というものが結ばれました。
これこそナポレオンの退位を定めたものであり、ナポレオンがエルバ島に島流しとなった条約でもあります。
ただし、これは1814年にナポレオンが皇帝を退位しエルバ島を隠居地として選んだだけ、という考え方もあります。
フォンテーヌブロー条約によってナポレオンは事実上フランスから追放されたのです。
これが島流しとなった理由です。
引き換えに2,000,000フランの年金がフランスから送金されるということが決まりました。
そして妻であったマリー・ルイーズと息子のナポレオン2世はパルマの当事者としての地位が与えられ、そのあとでエルバ島に向かうことも許可されたのです。
セントヘレナ島への島流し
その後エルバ島を脱出したナポレオンは再びパリに戻って皇帝になりました。
これが1815年のことです。
再度戦争へと突き進み、イギリスとプロイセンの連合国にワーテルローの戦いで乾杯することとなりました。
ナポレオンが皇帝になってから95日のことです。
そしてこれが百日天下と呼ばれるようになったのです。
これによりナポレオンは再び退位することとなり、セントヘレナ島に島流しになることとなりました。
最初はアメリカに亡命することも考えましたが、港が封鎖されてしまったことによりうまくいかなかったのです。
つまり、ナポレオンがセントヘレナ島に島流しになった理由には亡命することができなかったから、ということも挙げられるでしょう。
セントヘレナ島での生活
ナポレオンはエルバ島を脱出して再びフランスに戻りましたが、セントヘレナ島を脱出する事はありませんでした。
そこではフランスからお金を送金され、食料も十分にあったと考えられていますが、ほとんど家から出る事はなく、寂しい余生を送ったと考えられています。
特に総督からは不公平な扱いを受け、例えば腐った食べ物を渡されたということもあります。
また、ナポレオンが病気になったら医者をフランス本国に送り返すなど、虐待に近いこともされてきたのです。
死後、ナポレオンは胃に癌と腫瘍があったことが明らかにされていますが、暗殺説も存在しており、死因は明らかにされていません。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンが島流しになった理由はわかりやすくいうと戦争に負けたから、ということになります。
華々しい人生を送ったナポレオンですが、その最後は非常に寂しいものでした。