ナポレオンのロシア遠征失敗の理由

ナポレオンと言えばロシア遠征失敗が有名ですよね。

冬将軍という言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし、具体的にナポレオンによるロシア遠征失敗にはどのような理由が考えられるのでしょうか。

ここではナポレオンのロシア遠征失敗とその理由について解説します。

ナポレオン戦争の転換点

1812年、ナポレオンはロシア帝国に侵攻しましたが、これ自体はナポレオン戦争の転換点となります。

ロシアにおいてはこの戦争を1812年戦争と呼ぶこともありますし、イギリスやアメリカにおいては1812年戦争と呼ぶと米英戦争を指す場合があります。

侵攻は1812年6月23日に始まりました。ナポレオンはサンクトペテルブルクに最後通牒を送っていましたが回答がなく、最終的にロシア領ポーランドに進軍することにしたのです。

そしてナポレオンが率いるフランス軍は補給物資を現地で調達するということに依存していました。

ロシア側の対策

物資を全て現地で収奪すれば良いと考えていたフランスはロシアの東方脱出を防ぐため、国境付近で決闘を挑みました。

しかしそれに対しロシア軍総司令官はフランスとの会戦を避け、戦力を保ったまま開脚を繰り返していたのです。

それにより最終的にロシアは東方脱出を可能にしました。

フランス軍は後方や側面防御のために多くの兵士を使う必要があり、兵力を分散しなければならず、さらに飢えや疲労、逃亡によって脱落する兵士が増えました。

これがいわゆる冬将軍に負けたということであり、ロシア遠征失敗の理由の1つになります。

退却

ナポレオンはモスクワにたどり着き、必要物資や食料を手に入れることを期待していました。

しかしモスクワはロシア軍の組織的な効果によって焼け野原となっており、ナポレオンは何も手に入れることができませんでした。

それによって退却するほかなくなったのです。

そのままモスクワで無駄な時間を過ごしてしまったことにより、それ以降の攻撃もうまくいかなくなってしまったのです。

食料補給を望むことができず、馬に食べさせる食料もなかったため、馬のほとんども餓死したり、食料として兵士たちに殺されました。

馬がいなくなったという事は大砲や荷馬車も発揮するほかなく、フランス軍はロシアにたくさんの車両を置き去りにしてしまったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

冬将軍にナポレオンが負けたと聞くと寒さで退却するほかなかったように感じますが、そればかりが原因というわけではありません。

ナポレオンはロシア遠征において食べ物などを現地で補給するつもりでいたため、それがうまくいかなくなり、退却するほかなかったのです。

これこそがロシア遠征失敗の理由と言えるでしょう。