ナポレオンの料理人について

ナポレオンと言えば皇帝にもなった人物ですが、ということはナポレオンにも料理人がいたということになります。

最近では大使館の料理人なども話題になりますよね。

それでは、ナポレオンの料理人とはどのような人物だったのでしょうか。

ここではナポレオンの料理人について紹介します。

マリー・アントナン・カレーム

マリー・アントナン・カレーム、一般的にアントナン・カレームと呼ばれる人物はフランスのシェフです。

彼はフランス料理の発展に寄与した人物であると言われており、「国王のシェフ、かつシェフの帝王」と呼ばれていたことがあります。

もともとはフランスの外交官、そして美食家あったタレーランの下で働いていました。

タレーランと言えばフランス革命から七月王政まで外交官として携わった人物であり、首相や外相、大使としても活躍していました。

世界史でも習う人物ですよね。

この人物のもとで料理人として仕事をしていたカレームは1814年から始まったウィーン会議の際に料理を作り、出席者から高い評価を受けるようになったのです。

カレームが残したもの

例えばフランス料理のコックがかぶる帽子わ鍋の形などを考案したのもカレームだと言われています。

またソースにもこだわりましたし、カレームの考え出したフランス料理はロシアの上流階級における食文化にも大きな影響を与えたと言われています。

料理に関する著作も多く、1833年から34年にかけ、フランス料理の百科事典のような書籍を完成させました。

レシピやテーブルのセッティングにも力を入れています。

立身出世の人物

特にこの時代、ここまでの立場になったという事はもともとカレーム自身が上流階級の生まれなのではないかと思う人もいるかもしれません。

しかし、実はカレームはとても貧しい家庭に生まれ、10歳になるかならないかという年齢の時にフランス革命が起こり始めていたパリの上に捨てられてしまったという悲しい過去を持っています。

彼の両親はあまりにも貧しかったため、子供を育てることができなかったのです。

カレームは生きるために食堂に住み込み、見習いとして働きました。

そこで頭角を現し、出世の階段を進むようになったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ナポレオンの料理を作ったのもカレームだと言われていますが、もともと上流階級の生まれというわけではなく、貧しい家庭で生まれて自分の力でここまでの地位を築きあげたというのも素晴らしいですよね。

カレームは立身出世の人物としてフランスで尊敬されています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする