瓶詰めと言えば、野菜や果物を保存するためによく利用されますよね。
塩や油、お酢やお酒と野菜や果物を合わせることにより、野菜や果物は長期間の保存が可能となります。
そんな瓶詰めは実はナポレオンが関係しているということを知っているでしょうか。
ここではナポレオンの時代出来上がった瓶詰めについて紹介します。
長期間の保存をするためのアイディア募集
1804年、ナポレオンは皇帝になりました。
その時フランス政府はフランス軍のため、食物を長期間保存するための方法を民間から募集することにしたのです。
その時には12,000フラン、今でいうと約3,000,000円相当の賞金が約束されていたと言われています。
この話を聞き、科学者のニコラ・アペールという人物が塩漬けや酢漬け、アルコール漬け、燻製などの食品保存法に工夫を加え、野菜などをガラス瓶に入れて密封し、長時間に仏することによって殺菌するという方法を考えだしたのです。
これをアペルティザシオンと呼びます。
人類の恩人アペール
当時大人だったシャプタルという人物はこのアペルティザシオンという保存方法をナポレオンに伝えました。
これによってアペールはナポレオンから12,000フランの賞金を受け取り、1812年には「人類の恩人」という称号を与えられたのです。
これにより、アピールが考え出した瓶詰めは世界的に広まることとなりました。
しかしアベルは瓶詰めに必要な殺菌消毒や保存法等の特許を取らず、そのまま人生をかけて食料の保存方法を研究したのです。
彼は「あらゆる動植物食品を多年にわたり保存する法」という本も書き上げました。
これはアメリカでも愛されている書物になります。
缶詰の発明
アペールの瓶詰めは缶詰と発展して行くことになりました。
しかしまだまだ缶切りというものが発明されておらず、缶詰を開けるときには大工道具が必要だったとされています。
しかしその缶詰がアメリカの南北戦争で重宝されるようになり、1860年代には缶詰の素材に適したブリキと缶切りが発明されたのです。
南北戦争が終わってから、アメリカでも缶詰というものが一般的になりました。
日本でも明治4年、1871年に缶詰の作り方が広まり、軍隊の保存食として愛されていたと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
瓶詰めというものがナポレオンの時代にできたなんて驚きですよね。
確かにナポレオンの時代、アメリカ軍はあちこちに遠征していましたから、食料の保存というものは非常に重要な問題だったのです。
そしてこの瓶詰めから缶詰が発展していったのです。