ナポレオンのロディの戦いというものを聞いたことがあるでしょうか。
ナポレオンというとアウステルリッツの戦いやワーテルローの戦いなどが有名ですが、ロディの戦いもナポレオンが勝利を収めた有名な戦争です。
ここではロディの戦いについて解説します。
ロディの戦いの概要
ロディの戦い、あるいはローディの戦いというのは1796年5月に起こったフランス軍と神聖ローマ帝国のオーストリア軍の間で行われた戦いです。
ロンバルディア地方で行われたためロディの戦いと呼ばれます。
ナポレオンはイタリアとの戦争の為、サルデーニャ王国の軍隊を打ち破っていました。
そしてその次にイタリアと同盟を結んでいたオーストリア軍に矛先を向けることにしたのです。
オーストリア軍がミラノに進んでいる道を遮断し、フランス軍はオーストリア軍を追いかけました。
オーストリア軍の後ろの方にいた軍隊と戦い、ロディ地方に進んでいったのです。
オーストリア軍の退却
フランス軍がオーストリア君を追い詰めた時、オーストリア軍は何時間も食事をとっておらず、すでに非常に疲れている状態でした。
この戦いでは凄まじい死傷者が生じ、さらにフランス軍による戦術に混乱させられていたため、フランス軍からの奇襲を恐れていたと言われています。
オーストリア軍の士気は早々になくなってしまい、彼らは雪崩の中を塗装していくことになりました。
フランス軍は彼らを追撃しようと試みましたがオーストリア軍は暗闇を利用し、逃げ出していったのです。
そのため確かにこの戦いではフランス軍が勝利を収めてはいるのですが、オーストリア軍が逃げ出したという結果で終わっているため完全な勝利とは言い切れない現実があります。
ナポレオンの名声
確かにフランス軍の完全勝利とは言い切れなかったロディの戦いではありますが、この戦いではナポレオンの作戦がかなり効果的でした。
そのためナポレオンは自分の戦略が他の軍人よりも優れているということを自覚し、さらに彼自身もこれ以上の業績を成し遂げていかなければいけないという運命を感じたと言われています。
この戦いの後、フランスの兵士たちはナポレオンを小伍長と呼ぶようになったと言われていますが、それ自体に証拠は残されていません。
まとめ
いかがでしょうか。
負け知らずだったフランス軍はあちらこちらの戦いで勝利を収めており、ロディの戦いはその一つです。
ナポレオンの戦略は確かにヨーロッパ諸国を脅かせて行ったのです。
そしてナポレオンの名前は世界各国に広まっていくこととなりました。