ナポレオンボナパルトという人物について聞いたことがあるでしょうか。
フランス革命が起こった後に台頭した軍人であり政治家のことを指します。
皇帝になった人物であり、最終的にはセントヘレナ島に流されたという事でも知られていますね。
それならばナポレオンボナパルトはどのような生涯を歩んだのでしょうか。
ここではナポレオンボナパルトの人生について紹介します。
コルシカ島での生活
ナポレオンは1769年、コルシカ島で生まれました。
12人の子供のうち4番目、次男として生まれたのです。
ナポレオンの洗礼名はナブリオーネ・ブオナパルテでしたが、コルシカ島を出てフランスで生活すると決め、出世し始めた1794年から改名し、ナポレオンボナパルトとなったのです。
コルシカ島には貴族制度がなかったのですが、ナポレオンの父親がフランス側に身をおくことにし、貴族と同等の権利を得ることにより、フランス本国に渡れるようになりました。
そしてその援助により、ナポレオンと兄ジョセフは教育を受けるため、フランス本国に向かったのです。
ナポレオンボナパルトの学校生活
ナポレオンはもともと修道院に付属していた学校に通っていましたが、1779年には貴族の子供たちが学ぶブリエンヌ陸軍幼年学校に国費で入学することになりました。
そして1784年にはパリの陸軍士官学校に入学し、なんと11ヵ月で全課程を終えてしまったのです。
もともとここは4年かかって卒業する学校であり、11ヵ月で卒業するというのはこの学校にとっても最短記録でした。
また、ナポレオンの才能はこの学校に属していたときの雪合戦に現れていたと言われています。
ナポレオンの陣地構築と指揮の仕方は非常に顕著で、この頃から指揮官としての能力があったと考えられているのです。
軍人としてのナポレオン
ナポレオンボナパルトは国内外ともに非常に人気者でした。
そのため現地で物資を供給することに何の問題もなく、戦争に出かけていっても食料等で困る事はなかったと言われています。
それ自体もナポレオンが戦争で勝利を収めることができる理由になっていました。
しかし最終的には戦いで負けてしまい、エルバ島に流されます。
エルバ島から脱出し、百日天下を経験しますが最終的にうまくいかず、最後はイギリス領のセントヘレナ島に流されてそこで生涯を戸島した。
ナポレオンの遺体はその後フランス本国に送られ、今は陸軍病院の教会で眠っています。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンボナパルトの生涯は華々しいものでしたが、最後は非常に残念なものでもありました。
多くの人に尊敬されたナポレオンは今も多くの人から慕われているのです。