ナポレオンはヨーロッパ支配を成し遂げた人物として知っている人もいるかもしれませんね。
ヨーロッパ支配といっても全ヨーロッパを完全に支配したというわけではありません。
しかし、ナポレオンはヨーロッパ全域に渡って力を持っていました。
ここではナポレオンとヨーロッパ支配について紹介します。
ナポレオンの登場
フランス革命に続いてナポレオン戦争が起こります。
フランス革命戦争とナポレオン戦争の境目をどうするのかということに関しては様々な見解がありますが、一般的にはアミアンの和訳が破棄されたことが戦争の始まりだと考えて良いでしょう。
ナポレオンはイタリアに遠征し、オーストリア軍を次々と倒して行きました。
その次にはエジプトに遠征し、イギリスとインドの連絡を断とうと考えます。
その間第一回対仏同盟が解体し、ブリュメール18日のクーデターが起こる直前に第二回対仏大同盟が結成されました。
そしてクーデターの直後、ナポレオンは第一統領として政権を握ることになったのです。
平和の回復
ナポレオンは例えばフランス銀行を設立し、コンコルダードを締結させ、カトリックを復活させました。
農民の土地所有権を保障するなど、社会に貢献していたのです。
その後ナポレオンは終身統領となり、ナポレオン法典を出しました。
このナポレオン法典により市有財産の不可侵、契約の自由、法の前の平等というものが明らかになったのです。
そんなナポレオンは国民投票で圧倒的な支持を受け、特に農民とブルジョワから好かれていました。
その後1804年、ナポレオンはナポレオン一世として皇帝になり、ヨーロッパ支配を進めていくのです。
ナポレオンによるヨーロッパ支配
ナポレオン帝国を形成したナポレオンはイギリスに対する経済的な戦略とフランスの産業資本を独占するために1806年、大陸封鎖令を出しました。
それによって大陸諸国に経済的な問題を起こさせようとしたのです。
その間、アウステルリッツの会戦が起こり、ライン同盟が締結されました。
ワルシャワ大公国が成立し、プロイセン改革が起こり、ナポレオンを解放者とする見解と抑圧者とする見解が出始めたのです。
その後ナポレオンはロシア遠征に出かけましたが、最終的に負けてしまい、エルバ島に流されました。
ルイ18世が即位したことによってナポレオンはエルバ島を脱出し、再度復位を成し遂げますが、100日天下を経てセントヘレナ島に流されてしまったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
このように見てみるとナポレオンはヨーロッパ支配をほぼ成し遂げたと言っても良いでしょう。
ただし北ヨーロッパに関してはロシアが関係していたためうまくいかなかったとされています。