ナポレオンは死ぬ前に遺言状を書いたということを知っているでしょうか。
有名な人はそれぞれ遺言状を残しているケースが多いですが、ナポレオンはどのような遺言状残したのか気になる人もいるかもしれませんね。
ここではナポレオンの遺言について紹介します。
セントヘレナ島で書かれた遺言状
ナポレオンはワーテルローの戦いの後でセントヘレナ島に流されていますが、1821年8月15日、セントヘレナ島にて遺言状を残しています。
書かれていた内容は主に3つであり、まずナポレオンはローマ教会の信者として死ぬこと、深く愛するフランス国民の中にいるため、遺体はセーヌ川に葬って欲しいということ、そして最愛の妻であるマリールイーズには深く愛情を捧げてきたため、まだ幼少の息子にが誘惑に陥らないように守って欲しいということです。
また、ナポレオンが命を落とした後は遺言によってその遺体が解剖されています。
ナポレオンの遺言補足書について
また、ナポレオンは遺言状だけではなく、その遺言に補足書をつけていました。死ぬ半月前に書かれたと考えられていますが、これは2013年、フランスのパリで競売にかけられ、最終的に357,000ユーロで落札されています。
予想落札価格は80,000ユーロから120,000ユーロだったと考えられているため、予想を大幅に上回って落札されたと言えるでしょう。
これ自体は1821年4月16日に側近のモントロン伯爵が書いたものです。
ここにはナポレオンがセントヘレナ島で持っていた家具等がリストとなっており、側近と母親の間で分け合うように指示されていました。
複数存在する遺言上
実はナポレオンは自ら遺言状を記していましたが、その遺言状は何枚にもわたって存在するということがわかっています。
というのは、もともとナポレオンはイギリスによってセントヘレナ島に流されていましたが、原本がイギリスによって発揮されてしまうのではないかということを懸念したため、いくつもの遺言状を作成していたのです。
そして最後に作成されたものはパリのフランス国立公文書館に展示されており、2013年にパリで競売にかけられたものはモントロン伯爵の子孫が持っていたものとされています。
まとめ
いかがでしょうか。
ナポレオンが実は何枚もの遺言状を所有していたというのは面白い事実かもしれませんね。
確かにイギリスに発揮されてしまうということを恐れて何枚もの遺言状を書いていた事は、戦略にたけていたナポレオンならではの行動だったのかもしれません。