ナポレオンボナパルトと言えばフランスで活躍した軍人であり、皇帝にまで上り詰めた人物でもあります。
そんなナポレオンボナパルトには様々な逸話が残っており、今となっては真実かどうかわからないというものも少なくありません。
ナポレオンボナパルトにはどのような逸話があるのでしょうか。
ここでは彼の逸話について紹介します。
哲学者ヘーゲルとの関わり
哲学者であるヘーゲルが『精神現象学』を発表する前、フランス軍は彼が教鞭を振るう大学がある街、イエナに到着しました。
ヘーゲルが進めていた自由というものは、歴史を舞台として絶対精神と言える理性が自己実現を遂げる全体的自由のことでした。
そんなヘーゲルはナポレオンがフランス革命の精神である自由をヨーロッパ全域に広げようとしているのではないかと考え、ナポレオンは世界精神そのものと感じていたのです。
そこでヘーゲルは「ナポレオンが世界を鷲掴みにして支配している」と書き残したと言われています。
ベートーベンとの関わり
偉大な音楽家、ベートーベンもナポレオンと関わりがあります。
ベートーベンはナポレオンは人民の英雄であると考え、ボナパルトという題名でナポレオンへの敬意を込め、交響曲第3番を作曲したのです。
しかしナポレオンが皇帝に即位したときにベートーベンは失望し、楽譜に書いたナポレオンへのメッセージを破り、曲名も「英雄」に書き換えたという逸話が残されています。
実際にはそのような事はなく、ベートーベンはナポレオンをずっと尊敬していたとも言われています。
この交響曲第3番は第二楽章が英雄の葬儀を扱っているため、ナポレオンに対して失礼だと考えて題名を変えたのではないかという逸話も残されているのです。
エジプトによる逸話
ナポレオンの人生には様々な逸話がありますが、エジプト遠征における市場も残されています。
ナポレオンはピラミッドの前で兵士たちを励ましました。
そしてその時にフランスの兵士が書き残した落書きがいまだにピラミッド内部に残されています。
また、フランス軍はスフィンクスを標的として鉄砲を打ち、1部を打ち壊したという逸話もありますが、フランス人がエジプトにたどり着いたときにはすでにスフィンクスの鼻が欠けていたため、フランス人の責任ではありません。
まとめ
いかがでしょうか。
どうしても歴史上の面白い話を聞くと本当だと思ってしまいがちですが、逸話は真実ではない可能性があるということも覚えておかなければいけません。
さらにナポレオンボナパルトは暗殺されたのではないかという逸話もありますが、これに関しては暗殺を否定することもできず、未だに謎のままとして残されています。